お墓にはだれもいないけれど。
ずっと行っていなかったおじいちゃんの墓参りで、久しぶりに遠出。
行きたいと思いつつ、もう数か月。
天気が良かったのと、ずっと家にいてウツなので、思い立って出かけた。
ぼうず2人を連れて。
ちょうど今月8日が命日だったようで、お墓のお花は比較的新しかった。
3人で花を供え、手を合わせる。
墓参りに来たけれど、おじいちゃんは墓にはいないから、墓なんて正直どうでもいい。
ここから離れた場所の仏壇なんて、もっと興味ない。
ただ、あの場所の空気を吸いに行く。
おじいちゃんの人間らしかったころの様子が心によみがえる。
おじいちゃんの生き生きした声が脳裏に聞こえてくる。
おじいちゃんの家で過ごしたときのなにげない様子が思い出される。
昔、聞いた話の復元なのか、自分で見た光景なのか、ごちゃごちゃしてよくわからないけれど、断片的なものもたくさん浮かんできて、ただなみだが出る。
でも、亡くなってしまったから、悲しいから、なみだが出るのではない、と思う。
むしろ、頭の中や心の中によみがえってくる姿が元気なのが、うれしい。
どんなふうに、どこで、この世を眺めているのかなと想像するのが楽しい。
行ってよかった。
こんなふうに立ち止まって考えさせてくれる、それがおじいちゃんが残してくれたものなのかな。